話すことには勇気がいり、少しの開放感がともない、たぶん誰かの心に響く。(自己開示)
ブログに体が弱りはじめた父のプレ介護のことを書いたのがきっかけで、声をかけていただき、先日、初めて人に対面で自分の体験をお話ししました。
取材することには比較的慣れていますが、されるのは新鮮な体験でした!
話すことには勇気がいり、少しの開放感がともなう
ブログに書いたことで、人に伝えたいことが少し整理できていたので、比較的スムーズにお話しできたと思います。
それでも、ブログにはかかなかったナマな感情や、自分の黒い気持ちを知った体験などを語るのには、やはり勇気がいりました。
そこをおして、慣れないながら語ったのは、「人に聞いてほしい」という自分の気持ちがあるから。そして、「自分の体験を語ることが、誰かの、何かの役に立つかもしれない」と思うからです。
声をかけてくださったのは、エッセイストであり、東京都国立市で介護家族をサポートするグループ「KouKou café」主催・KAIGO MATCHコンテンツコーディネイターである、羽生さくるさん。ご自身の介護の体験から、介護に携わる人、これからの介護に不安をいだいている人が顔を合わせ、話ができる場を、月に1回開催しています。
「こんなこと、人に話していいのだろうか」
「これは私だけの事例であり、環境が異なる他人の参考にはならないんじゃないだろうか」
話しながら、常に心にブレーキがかかります。下りのエスカレーターにさからって登っていくように、負荷を感じながら、意志の力で言葉の扉を押し開きます。
エネルギーを使いましたが、話して、自分の気持ちを肯定してもらい、「みんなそうですよ」と認められたときには、「話してよかった」という開放感と手応えを感じました。
「プライベートとパーソナルは異なる。パーソナルな個人の体験から、普遍的なものをすくいあげて集め、共有すれば、価値ある集合知になる」というのが、羽生さんが話してくださったことでした。
パーソナル→集合知へ。個人の事例や体験に、普遍的な「何か」がある
「普遍」とは、すべてのものに共通していること。対義語は「特殊」です。
個人の事例は、細かく細分化され、独立した、それぞれが「特殊なケース」といえます。
でもそれがたくさん集まり、しかも別々のものとみなさずに、共通して役立てることができる何かがあると信じて、問題をくみあげる目線や姿勢があれば、次の何かにつながるかもしれない。
そんなことを感じました。
そのためにも、ブログや自分史で個人が発信していくことは、テーマが何であれ、きっと意味があるはずです。
羽生さんが開催しているKouKou caféも、介護をしている人、これからの人、先々のこととして考えつつある人が、立場の違いを越えてつながれる場と聞いています。
自分のことを書くのはやっぱり難しいのですが、ブログでも「これを書くことに、なんか意味があるはず」と感じることを、ときにはちょっと頑張って、勇気をもって書いていきたいものです。
ブログで発信するとか、自分史を書くとか、自己開示をするって、つまりきっとそういうことだと思うんですよね。
【参考】(別サイトへ)
・KouKou café ジャーナル
・suckle nouveau 2016
【こちらもあわせてご覧ください】
・家族の認知症(アルツハイマー)は、受け入れるまでが最初のヤマ。
・NHKドキュメンタリー「君が僕の息子について教えてくれたこと」
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