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2016-01-05

「見ざる・聞かざる・言わざる」の本当の意味は? どんな教訓を得るかはあなた次第!

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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

見ざる・聞かざる・言わざるの「三猿(さんえん)」の意味をどうとるかに、その人らしさが出る気がします。無関心な保身ではなく、現実に賢く対処するための知恵として、「三猿」の意味を知ってみませんか?

三猿(左からモミジバフウ・マテバシイ・フウの実) 2016.1.5

三猿(左からモミジバフウ・マテバシイ・フウの実) 2016.1.5

2016年(平成28年)の干支は、申

今年の年賀状のデザインは、見ざる・聞かざる・言わざるの「三猿」にしました。モミジバフウ、マテバシイ、フウの実を並べて撮影し、猿のイラストに仕立てました。

「見ざる・聞かざる・言わざる」というと、「都合の悪いことに知らんぷりをする」とか、「保身のために余計なことには無関心を装う」というネガティブな意味合いにとりがちです。

でも「三猿」は、英語に翻訳すると「Three wise monkeys」。賢い3匹の猿、です。
本当にそんな後ろ向きで俗世的な警句なのでしょうか?
年賀状の題材にするにあたって、調べてみました。

三猿といえば、日光東照宮

「三猿」で有名なのは、日光東照宮の彫刻ですね。
神厩舎(しんきゅうしゃ)、つまり神馬をつなぐ馬屋に、三猿の彫刻があります(重要文化財)。八面の彫刻で、人の生涯の生き方を教える手本とされているそうです。

日光東照宮公式サイト
http://toshogu.jp/shaden/

「見ざる・聞かざる・言わざる」はまだ幼い子供の猿で、ふたつの意味が込められているようです。

  1. 子供のころは、悪いことを見たり聞いたり話したりしないで、素直にまっすぐ成長しなさい、という意味。
  2. 大人の処世術として、余計なことは見たり聞いたり他人に話したりしないほうがいい、という意味。

俗世の現実としては後者のほうが身に沁みますが、そんなことをわざわざ、徳川家康公を祀るお社に彫りますか? という疑問が。まあ、忍耐を重ねて天下をとった家康公としては、らしい気もしますけれど。

個人的には、前者のほうが気に入りました。

八面に彫られた猿については、こちらを参照しました。

日光東照宮の三猿には深い意味があったんですね。
http://yunoyama.jp/blog/mikio/column/4915/

ちなみに「日光を見ずして結構と言うな」といいますが、私はまだ見たことがありません。恥。

庚申講が由来とも

「三猿」の元になる教えは、「道教」と「論語」に由来しているようです。

道教は中国の土着の伝統宗教で、いろんな言い伝えがあります。
その中に、庚申(こうしん)信仰、というのがあり、猿は神様の使いとされています。庚申塔や庚申塚には、「三猿」の絵がよく描かれていて、「目と耳と口を慎んで、厄難を避ける」という意味が込められているようです。

人間の身体の中には、三尸虫(さんしちゅう)という虫がいて、この虫が60日に一度めぐってくる庚申(こうしん=かのえさる)の日の夜、眠っている間に天界にのぼり、天帝にその人が犯した罪を話し、それによってその人の寿命が決まるといわれています。

それを避けるために、庚申の夜はみんなで酒を飲んで、眠らずに徹夜して、天帝への告げ口を避けるという風習があったようです。公式に酒を飲む口実が欲しかったんだろうなーという気もしますが、つまるところ長寿と福を願う風習といえるでしょう。

これが「かのえさる」の日に行われたために、虫が猿にすり変わり、「見ない聞かない、天帝に告げ口しない」ことが災厄を避けることになる、という考えに転化したのでしょう。

論語の「礼」の教え

「論語」は、賢人であり思想家である孔子と、その弟子たちの言動を記録した、2000年以上読み継がれているベストセラーです。この中にも、「三猿」につながる教えがあります。

「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」
(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)

「礼」とは、社会規範にのっとった、TPOにふさわしい言動のことです。

孔子は、人の内面における「仁(真心、思いやり、愛)」を、態度や行為としていかに表すか(「礼」)を、わかりやすく人に教え伝えることで、乱れた世の中をよくしようとした人です。

なのでこの句も、ただ四角四面に「礼儀を守れ」といっているのではなく、常に自分の頭で考え、節度を持ってふさわしい言動を選択するようにという、実践的な教えかと思います。

「不躾に見るな、そば耳立てるな、無責任にしゃべるな、よく考えて行動しろ」ということでしょう。本人の自覚が大事で、他人がどんなに教えたり強制しても難しい、ということのようです。

天台宗では座禅の教えに

漢語の「不見、不聞、不言」という教えが留学僧を経由して日本に伝わり、天台宗の教えとなったようです。「心を惑わすようなものは見ない、聞かない、言わない」ことにより、災厄を避けるという考え方のようです(このへんはちょっとあやふやです)。

ブリタニカ国際大百科事典では「三猿」を

「耳は人の非を聞かず、目は人の非を見ず、口は人の過を言わず」という天台宗の止観(しかん)の空、仮、中の教えに基づくもの

としています。

止観(しかん)の「空、仮、中」ってなんぞや? と思いましたが、これは一般的にいう禅(座禅)や瞑想に通じてくるようです。

摩訶止観(空・仮・中)について
http://danrin.exblog.jp/15485847

一周回って、「そもそも見るとはなんぞや? 聞くとは? あなたが目にしているものは、本当にそこに在るものでしょうか?」みたいな話になってきました!

三猿、奥が深いです。

東洋以外でも有名に

この思想はヨーロッパに伝わり、東洋の「Three wise monkeys」として知られるようになりました。

インドのマハトマ・ガンディーは、常に三猿の像を身につけて、「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたそうです。三猿の像は、日本の人からもらったものだともいいます。

余計なものを見聞きしたり、みだりにしゃべりちらかすことの害悪は、洋の東西を問わず誰もが実感していて、そのためにこの考えが広く伝わったのでしょう。

日本では、何よりも語呂合わせがおもしろい、というのが大きかったでしょうね。

さらに股間に手をあてて「せざる」と、色事の方に広げた「四猿」もあるようで。あらゆることに適用できる展開力に、「行いをつつしめ」といった孔子様もびっくりです(笑)。

ネットリテラシーも「三猿」で

Webに情報があふれ、無責任な情報も即座に拡散する現在では、「三猿」もネットリテラシーとしての意味合いを持ってきそうです。

  1. あやしげなリンク先をほいほい見にいかない。
  2. 信頼度の低い情報に耳を貸さない。
  3. しっかり確認を取らずに情報を広めない。

気をつけたいですね。

三猿の意味はいかようにもとれます。調べてみたら、思った以上に深い意味がありました。
「見ざる・聞かざる・言わざる」からどんな教訓を得るかは、自分次第。しっかり考えて、「申」の年を賢く乗り切りたいものです。

【こちらもあわせてご覧ください】
イチョウのある風景。そしてイチョウについての豆知識。
カラスも口が開く猛暑まっただ中。(六義園)

【参考】
三猿 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/三猿
三猿(さんえん)とは – コトバンク
https://kotobank.jp/word/三猿-70334
三猿の由来です。
http://homepage2.nifty.com/touyuu/eto/saru2.htm
【仏教/中国の思想】「仁」と「礼」について – ベネッセ
http://kou.benesse.co.jp/nigate/social/a13n0503.html

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このブログを書いている人
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宮野真有(みやの・まゆ)

東京都練馬区在住。フリーランスのフォトライター。

「楽しんで」「長く続けられる」「自分らしさが発揮できる」文章を大切に、教える・聞く・書くなどの文章関連のサービスを個人向けに行っています。

またブログでは、「植物」×「写真」×「文章」の3つをキーワードに、ベランダガーデニングや公園散歩の楽しみを発信しています。

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