入院に介護に自分史に。「つなぐ」×「役立つ」×「今ここにいる私」が、家族に向けた文章のエネルギーになる
SNSでも、ブログでも、自分史でも。
人はなぜ、文章を書きたいと思い、書くのか?
そのエネルギーは、どこから湧いてくるのか?
入院した父に付き添い、見舞いをして、容態報告のメールを母と妹に発信して。
個人が書く文章の意味の根幹を、老父の入院の中で感じました。
「入院メール」も「介護メール」も「自分史」も、根っこのエネルギーは同じかもしれません。
79歳の父が、腰を圧迫骨折して入院
娘の私と母と、3人で同居している父は、約3年前にアルツハイマー型認知症と診断されました。また、同じころに心臓病も発覚。要介護1の認定を受け、少しずつ暮らしの中でできないことが増えてきていましたが、母が面倒をみて、私があれこれと新しい知識を仕入れ、のんびりと穏やかに過ごしていました。
その父が、3月末に室内で転倒して、腰椎を圧迫骨折。救急車で運ばれ、急性期病院に入院することになりました。
これまで大きな怪我や病気と縁なくきた家族にとって、入院は初めて体験するおおごとでした。まして、認知症の父は時間や場所の認知があやしくなってきていました。身体の痛みに加えて、突然見知らぬ場所で、見知らぬ人に囲まれたら、どんなに混乱するか。
高齢者が骨折などをきっかけに入院して、認知症が大幅に悪化するという事例は、耳にしていました。家族でできるだけのことはしたいと思い、病院に申し出て最初は泊まり込みもさせてもらって、できるだけ長く父につきそいました。そして、言葉が聞き取りにくく、意志が通じにくい父と、看護師さんの橋渡しをしました。
無我夢中、初めての家族の入院
素人にとって、健康で頭がしっかりしていても、病院はわけのわからないところです。一日中入れ替わり立ち替わり、たくさんの「専門家」が出入りしては、自分の仕事を済ませて去っていくのです。
内科の医師(4人)、脳神経科の医師、循環器科の医師、消化器科の医師、泌尿器科の医師、整形外科の医師、看護師、病院の事務職員、理学療法士、作業療法士、管理栄養士、えんげの専門家(が言語療法士だということはあとで判明)、などなどなど。そして看護の担当者が、平日の昼と夜と、土日休日とで入れ替わります。
その中で父の容態や今後の治療方針、家族に了承を得ないといけないことについて、いろんな人から顔をあわせると話があり、ひたすらメモすることでいっぱいいっぱいでした。
一週間後、結婚して近くに住んでいるいる妹が、母と一緒に見舞いにきました。入院してからこれまでの父のことについて話そうとして、ハッとしました。情報量が多くて、うまく話せないのです。
手元のノートには、10数ページにもわたるメモがぎっしり。しかし容態の変化、治療の方針、投与されている薬、それにも増して家族に伝えたい父の様子、そして聞いてほしい自分の考え、気持ち。食事をしながら小一時間話しても、うまく伝えられた気がしませんでした。
フルタイムで勤めている妹は、見舞いにくるのは週1回が精一杯。でも、父のことを心配しているのは同じ。「もっと知りたい」「もっと話したい」がぶつかりあって、私も妹もなんとなくモヤモヤしていました。
そのとき、思いついたのです。「じゃあ、毎日メールを打とう」
今まで、「いちいち報告されてもうるさいかな」と遠慮をして、母への毎日の報告と別に、妹へのまとめメールをときどき打っていました。しかし、なかなかそこまで手が回らない。優先すべきは情報共有。妹にも了承を得て、多少の読みにくさは勘弁してもらうことにして、細かいことも全部、メールで共有させてもらうことにしました。
経過を、写真つきのメールで母と妹に送信
それからは、「今日のお父さん」と題したメールを、ほぼ毎日のように、打つようになりました。
内容は、今日の父の様子。ご飯を食べた量。排尿・排便の記録。医師の診断。看護の方針の変化。リハビリに立ち会うことができたら、そのときの様子、できたこと。現在の容態の問題点。今後家族が考えておくべきこと。
ノート数ページの専門用語だらけのメモから、まとめメールを作成し、記録や報告の意味も含めて、病室での父の写真も、撮っては合わせて送りました。事務的な報告だけでなく、父を見ていてうれしかったこと、心が痛むことなど、家族に聞いてほしい自分の気持ちも織り込みました。
忙しい毎日の中、報告メールにそうそう時間を割いてはいられません。病院から帰ってくる小一時間の電車の中が、毎日の作業時間になりました。
それを読んだ母と妹から返事がくると、「あ、読んでくれてるんだな」と、ほっと嬉しくなります。
まもなく、母が見舞いに行った日には、母が写真とメールを送ってくれるようになりました。母と私は夜にうちで話すことができるのですが、メールにすることで、離れて住んでいる妹にも詳しい情報を伝え、話題に入ってもらうことができます。また、より記録を残すことができます。母が撮った写真を見て、書いた文章を読むのは、私にとっても楽しみなことでした。
そういえば……20年前の祖父の入院のこと
ライターの仕事がら得意な取材とライティング、そしてブログで身につけた「さっとまとめてさっと書く」技術をフル回転させながら、何か既視感を感じていました。
入院中の病状や治療の方針について、定期的に家族に知らせる、というのを、前に体験したことがある……。
記憶をたどって気づきました。それは約20年前、母方の祖父が入院したときのことでした(家族文集・自分史の「としつき」を作った祖父です)。
当時祖父は、母の兄の伯父の家族と同居していました。伯父は律儀な人で、兄妹4人あてに、A4で1枚のワープロで打った祖父の様子を、定期的にFAXで送っていたのです。
それを母が、離れて住んでいた私や妹にもFAXで転送していたため、私も祖父の入院から逝去までを、大まかにリアルタイムで知ることができたのでした。
情報を受け取った側の安心感を自分が体感していたからこそ、今回自分から「書いて送ろう」という気持ちになったのだと、始めてから気づきました。
「つなぐ」×「役立つ」×「今ここにいる私」が、家族に向けた文章のエネルギーになる
20年前の伯父は、祖父の入院生活や病状のことを書いて知らせることによって、離れて暮らす兄妹の心をつなごうとしたのでしょう。
そしてそれはその前段として、50年前から家族文集を作って、結婚して離れ離れになった子どもたちの心をつなぎとめようとした、祖父の思いと行動があってのことではなかったか。
それを見てきた私が今、家族に向けて「書く」ことで、父の入院・入所生活、そしてこれからくる介護生活に立ち向かおうとしている。
そこに、時間を越えて親族の中で受け継ぎ、伝わるものを感じています。
家族・親族に向けての文章の根幹は、「つなぐ」×「役立つ」×「今ここにいる私」。
家族や親族の心をつなぎ、
記録として役立ち、
今ここにいる私しかできない役割を果たすことに意味がある。
これを、
「つなぐ」→ 読み手を意識する
「役立つ」→ 情報をわかりやすく
「今ここにいる私」→ オリジナルの視点
と表現すれば、SNSやブログの記事の書き方と同じになります。
いい文章の書き方として特別なことは、何ひとつありませんが、日頃仕事や第三者に向けての「発信」と考えているものを、家族や近しい人に向けて、きちんと伝えられているかどうかを考えたとき、「自分史」の意味もまた見えてくるように思います。
入院中に、認知症が悪化して身体がおとろえた父は、要介護5になって、現在、介護老人保健施設に入所しています。入所中も、私や母の「今日のお父さん」メールは続いています。
2ヶ月後には在宅介護生活が始まります。
新しい変化を受け入れ、やるべきことをやっていく中で、介護家族が孤立しないために、「文章」が役に立ってくれることを願っています。